柔道整復には政治家の後ろ盾がありません。
自前の国会議員もいませんし、業界内候補は出せても組織内候補も出せないでいます。
しかし、その昔「柔道整復の理解者」とも言える厚生族議員がいました。
その名は「橋本龍太郎」
自さ社連立政権には批判もありますけど、第82代内閣総理大臣まで登り詰めた政治家です。
橋本龍太郎の年表と、柔道整復の通達から相関関係を整理してみました。
「理解のある国会議員がいない」ことがどういうことになるのか?
※橋本龍太郎の年表を青字、柔道整復の通達を赤字で重ねてみました。
もし、橋本龍太郎が「柔道整復師に理解がなかった」としても年表的には妙に符合しているところが不思議に思えてなりません。
流れを見ての感想はみなさんにお任せします^^
厚生大臣就任から内閣総理大臣まで
昭和53年12月7日 第1次大平内閣で厚生大臣に就任
昭和56年7月
・施術料金の引き上げ、打撲おいび捻挫の施術料算定の単位となる所定部位の一部改正が行われた。↑
・医師により骨折の後療を依頼された場合で、拘縮が2関節以上に及ぶ場合の後療料が従前の後療料とは別に設けられた。
昭和58年7月
・後療において、温罨法を併施した場合の加算について温罨法と併せて電気光線器具を使用した場合の加算が新設された。
昭和59年9月
・後療料について重点的に引き上げが行われた。↑
昭和60年6月
・初検料・往療料・整復料及び固定料の引き上げが行われたほか、再検料及び冷罨法加算が新設された。↑
昭和61年7月22日、第3次中曽根内閣の運輸大臣に就任
昭和61年7月
・再検料の引き上げと温罨法からの電療料の分離独立と料金の引き上げが行われた。↑
平成元年8月 海部内閣で大蔵大臣に就任
平成4年6月
・温罨法及び電療料に係る待機期間並びに冷罨法に係る算定制限が一部緩和された。↑
・療養費請求の適正化の観点から多部位または長期にわたる施術において逓減制が導入された。↓
・骨折等の応急施術の場合の保険医療機関への紹介に係る施術情報提供料が新設された。↑
平成5年8月 自民党政調会長就任。
平成6年6月 村山内閣で通商産業大臣に就任
平成6年6月
・初検料・再検料・打撲及び捻挫の施療料並びに後療料を引き上げた。↑
・療養費適正化の観点から多部位又は長期間にわたる施術について算定方法の見直しを行った。↓
平成8年1月11日、村山富市首相の辞任に伴い、第82代内閣総理大臣に就任。
平成8年6月
・初検料・再検料・打撲及び捻挫の施療料並びに後療料を引き上げた。↑
・医師により不全骨折の後療を依頼された場合であって拘縮が2関節以上に及ぶ場合の後療料を新設。
平成8年11月7日、3年ぶりの自民党単独内閣となった第2次橋本内閣が発足。
内閣総辞職から政界引退まで
平成10年7月、橋本内閣が総辞職
平成10年7月
・初検料・再検料のほか、骨折・不全骨折・脱臼のそれぞれに係る後療料について引き上げた。↑
平成12年6月
・打撲及び捻挫に係る後療料を引き上げるとともに、施術部位が4部位以上の場合の料金の算定方法について変更を行った。→
平成12年12月 森内閣で沖縄開発庁長官・行政改革担当大臣に就任
平成13年 沖縄及び北方対策担当大臣に就任
平成14年6月
・往療料と再検料の引き下げを行った。↓
・施術部位が3部位以上の場合の後療料・温罨法料・冷罨法料及び電療料について、4部位目は所定料金の100分の45から100分の33へ変更。↓
平成16年7月 日歯連闇献金事件が発覚。
平成16年7月
・施術部位が4部位以上(所定料金の100分の33で算定)の場合は全ての負傷名にかかる具体的な負傷の原因を療養費支給申請書に記載することになった。↓
平成17年 郵政解散後、総選挙不出馬・政界引退を表明
平成18年7月1日 敗血症性ショックによる多臓器不全のため68歳没。
平成18年6月
・初検料・往療料の引き下げ及び再検料の引き上げと温罨法加算の引き下げ。↓
・往療距離が8kmを超えた場合は一律定額の加算に変更↓